三位一体説

プラトンソクラテスアリストパネス(メモ書き)

2016/11/12

(覚書ですので、参考程度に:)

ソクラテスプラトンアリストパネスのメモ。

戯曲のための覚書。

(興味がある人のみ、どうぞ、気が向いたので、今、少し載せておきます)

古代ギリシャは哲学で有名である。

なかんずく、ソクラテス

そして、プラトン

 


***

 


プラトンソクラテスは師弟関係である。

ゆえに、真髄は一体である、と言える。

しかし、実は、そもそもアリストパネスソクラテスが、互いの「片われ」なのである。

といったところで、そんなわけがない言われるに違いない。

事実、アリストパネスソクラテスはライバルで、政敵であったと、よく言われるが、

それは、ある時点まではおそらく、そうで、ある時点からは、おそらく違う。

アリストパネスは、もちろん、コメディアンの元祖であり、人々が持ちうる、スウィフト、宮武外骨チャップリンモンティ・パイソンタモリ、そう言った人たちの元祖である。

アリストパネスの「雲」が、上演された時、ソクラテス自身が、その劇を鑑賞し、大笑いしたとか、あるいは気恥ずかしい思いをした、とかいう話が伝わるが、それは、どちらも真実であろう。

その雲の戯曲自体は、第二版であるのだが、それでもアリストパネス自身、恥ずかしさか、何かしらの理由で書き換え、アリストパネスにしては珍しく、大コケした。

いわば、スベったのだ。

この時期のソクラテスは、第一次ソクラテスブーム、と呼ぶべき現象で、その後、しばらくは沈静化し、ソクラテスが時と人と扱われることはなかったようだ。

ではなぜ、「雲」がそこまで、歴史において、暗い影を落とすのだろう?

無論、それには、プラトンの著作がまず挙げられる。

しかし、そもそも、その雲が、仲間内のからかいの延長で、たまたまソクラテスに対して、悪役を担わせただけとは考えられないか?(個人的にはこういう印象である)

そもそも、アリストパネス自身が、ソクラテス当人に、さほどの悪意があったと、言えるだろうか?

「雲」において、ソクラテスは、怪しい教えを広める組織のトップにいる。

しかし、劇中、ソクラテス自身は、間違った教えを、「こう教えろ」と、教えすらいない。

それはある意味で、劇中におけるソクラテス自身が、まずもって答えを提示せずに、吟味の末、自分なりの考えを引き出させるという、のちの「助産」で知られる、ソクラテス像とは、矛盾はしない。

それどころか、「今の他の思想家の誰よりも優れている」というようなことさえソクラテスに対して、言っている。

されど、あくまでも、どこか、この「雲」には、アリストパネスのえにも言われる、「アンフェアさ」が滲み出ている。

この、「雲」こそ、プラトンの「ソクラテスの弁明」にて、間違ったソクラテス像が定着したのだ、と、ソクラテスは裁判で述べる。

これに関しては、間違い無いであろう。

しかしながら、一方で、あの時点で、大コケした「雲」を見て、のちのソクラテスの最期を想像したものは居ろうか。

そして、この「弁明」で、アリストパネスを名指しにするのであるが、これは、裁判という公的にして、これ以上無い誠実さを問われる際に、言い訳がましく、当てつけ、非難する、言ったようなことは、できまい。

ということは、アリストパネス自身に対しての、応酬や、報復では無いと考えられる。

つまり、どちらかというと、「(他の人たちよりは)あいつの言うこともまだわかる」といった程度のニュアンスではないか。

と言うことは、アリストパネスに対しての、悪意というものからきてはいまい(あるとすれば、むしろ、むしかえしであろう)。

いや、それどころか、死刑の宣告をされるかもしれぬという死に間際に(それどころか「禁じ手」を使い出す中に)、なぜ、アリストパネスを名指しするのか。

それには、むしろ、アリストパネスを「信頼した、何か」が、あったとさえ、考えられる。

もし、毒杯を煽って死に、そののちに、ソクラテスという人物がいて、どういうことを、成し遂げたか、という伝承を、歴史を、語り継がせさせるには、誰にそれを、託せば良いか。

そこには、まさにアリストパネスの、存在が、ものを言うはずである。

ソクラテスプラトン、そして、ソクラテスアリストパネス、そして、プラトンアリストパネス。その三者が、実は一体である、と主張する理由は、そこにある。

その一つの根拠は、また別のソクラテスの弟子、クセノポンとの関係性であるが、

プラトンソクラテス像と、多く、矛盾が見られる。

その、最たる、「弁明」などの扱いで、プラトンと同名の著作にて、アリストパネスの名前が問題となっているようなところは、どうも見当たらぬ。

ゆえに、プラトンの著作にて、どうも、意図的に、紛れこまされたものであったとしても不思議ではない、ということらしい。

プラトンの著作は、プラトン自身が、数学や幾何学を必須としたように、規則的な構造をなす。

言わんとすることは、つまり、プラトンの著作は、万華鏡である。

ソクラテスという、その万華鏡の像の、中心に浮かび上がった、一つの実相。

ソクラテスが、確かにイデアを追求しているのあれば、イデア・スペクターという風に言えるし、それは古代ギリシャを包むスペクトルでもある。

プラトンの著作は、「饗宴」を除けば、だいたいが、対話篇であり、一対一の問答を、積み重ね、展開される。

あるいは、こういういいあらわしも可能である。

ソクラテス、という人物に接近するカメラマン。

自らは、これといって出演せず、克明に、ソクラテスを、そして、ソクラテスとの対話するものを、描く。

それは、まさに、ペテン師扱いされ毒杯飲んだ、ソクラテスなる人物の、真実を暴こうとしている。

あたかも、手品師のトリックを、種明しをするように。

しかし、もし、ただ、カメラマンが記録したものや、いわば、一つの万華鏡が、なぜ、永遠に語り継がれる作品となったのだろう?

プラトンを評したものに曰く、「永遠(アイオーン)とは何かを発見したのはプラトンである。彼以前の人々は永遠を無限の時間の意味で語ったが、彼自身は無限の時間と永遠が異なるものであることを示したからである。……著者不明」

そのプラトンをして、永遠性を見出せさせた、その要因とは?

私の説はこうだ:

アリストパネスが、「ソクラテス・プロデューサー」であった。

それは、最初期の、「雲」の時から、そして、または、べつの形で、それを継続した。

つまり、カメラマンは、誰の意向をも踏まえて、ソクラテスに接近したか?

それには、ある者(達?)のあうんの呼吸があったと、見える。

また、万華鏡で言えば、光源/光明(ファネス)にして、プラトンの万華鏡の、「ソクラテス像の」、アドバイザーであったに違いない。

あまり、知られていないことのようであるが、プラトンアリストパネスは、実に良好な関係であった。

どうも、旅に一緒に出ているぐらいの仲であったらしい。

そして、プラトンの枕元には、常にアリストパネスが置いてあり、研究対象であった。

ニーチェが、喜び交えて書き記すところには、プラトンの最期の枕にあったただ一つ書物、ですらあった。

アリストパネスのように夜働く」ということわざがあったほど、アリストパネス自身、勤勉で、デモステネスと並び評される、古代の知識人たちの模範であったらしい。

「賢者は、すべての法が破棄されようとも同じ生き方をせん」とは、紛れもない自身の信条であろう。

だというのに、アリストパネスの、一見バカバカしいまでの、滑稽を連想させるイメージとは、一体どこからくるものなのだろう?

無論それは、本人自らがかもし出しているわけだが。

しかし、ある意味で、確かに、賢いくせに、いわゆる、お笑いに走りがちなものは、おちゃらけつつ、誰よりも本質を掴むものは、このまま真面目くさって話し続けるのも馬鹿らしい、となると、あの手この手で、滑稽に、とあくまでも滑稽さを追求する時、実に独創的に、滔滔と表現をして、しまいには転倒してしまいがちである。それすら別に良いとすら思うほどに。

この文脈で、何が言いたいのかというと、アリストパネス自身の、喜劇作家としてのアリストパネス著作それ以外に、または振る舞いやイメージとは別に、アリストパネスが向き合ったものがありそうだ、ということだ。

それはつまり、プラトンだ。

プラトンがもし、ソクラテスと一体の師弟でありつつ、憧れるものがあるとしたら?

プラトンの「響宴」には、少なくともそれも一つのテーマである、と私は考えている。

もし、「ソクラテスはペテン師だ!」というようなことを劇の内容として主張した者が、ある種の反省ような感情からか、まさにソクラテスその人と、あうんの呼吸で、約束のようなものを取り交わしたのだとしたら?

(「響宴」にて、「一方の意には従い、他方からは逃れることを要求する」、「一方をば追いかけ、他方からは逃れるように励まし」や、「不協和音」から「調和」といった表現が、まさにそうではないかと睨んでいる)。

つまり、その時点で、ソクラテスアリストパネスは、敵対者であるどころか、結託し、協力者となり、いや、それどころ片われとなったのだ、と、私は考えている。

ともあれ、プラトンをして、そのソクラテスと片われである、アリストパネスを、ありとあらゆる表現を駆使して、奇想天外な印象さえ抱かせつつ、その魅力を余すとなく伝えるだろう。

もし、プロデューサーたる人物が本人出演と知らさせずに、カメラの前に出るとすると、まさに、このようになると思う。

万華鏡で言えば、光源を照らし続けていた人物が、いよいよ現れた。

ギリシャ語の「アリスト」とは、「最上の、最大の、最高の」という意味であるし、「パネス、ファネス」とは、「光、光明、光源、陽光」を意味する。

まさに、アリストパネスはその名の通りである。

けれど、レンズを通して、屈折し、最終的には、実相とは「逆さま」の印象を抱かせつつ、馬鹿らしいまでにスーイスーイと、ソクラテスに近づくに違いない。

つまり、アガトンの善良さ(アルキビアデスとの対比を見よ!)を描写することもさることながら、ソクラテスアリストパネスの仲睦まじい様子を、プラトンが表現したものでもある。

ハイライトは、ソクラテスのスピーチを終えた時に、アリストパネスだけが、「何かを言おうとした」<引喩を指摘しようとした>時である(日本語訳だと含みを持たせた表現に、つまり、逆に含みがあることさえわからない訳に、多くの翻訳がなっている)。そこに、まさに、「喧騒」なる「響宴」の語句と同時に、アルキビアデスが乱入する。

そのプラトンの万華鏡の構造を解析できる、直接的な手がかりがあるのは、おそらく「響宴」のみであろう(他には間接的なものはあるだろうが)。

プラトンの作品では、「響宴」のみ、対話篇でなく、伝聞、又聞きの又聞き、といった、二重化がなされているのは、そのためであろう。

プラトンの代表作の「国家」「響宴」「弁明」には全て、アリストパネスが絡んでいる。

先に述べたように、「弁明」には名指しでアリストパネスが、「響宴」では出演し、「国家」には、「気の利いた連中」というのが、アリストパネスではないかと言われてる。

このプラトンの三作には、全て、アリストパネスからの外部から貫通した、いわばツッコミが入っている。

この点において、プラトンに対してのアドバイザーという立場だ、ということや、見守り人であったという私の意見は、すぐには否定されまいと思う。

それどころか、「洞窟の比喩」は、どうだろう?

まさに、万華鏡・カメラマンの説の説明と、完全に合致する。

多々、稿を改め、論じることとする。

プラトンアリストパネスの関係において興味深いのは、ソクラテスの死刑のちの(無論、ソクラテスは自ら不死であるといったが)、民主主義への絶望、そこから、すぐさま抜けて、民主主義とは別の政治形態への模索(共産主義社会主義の原型が、まさにここに見られる)が、すぐさま、ソクラテスをめぐって、アリストパネスと、弟子のプラトンによって、早々に開始されていたという事実である。

となると、第二ラウンド、ソクラテスとなり変わったプラトン、そしてアリストパネスの延長バトルが、すぐさま開始されていたのだ。

この三角の図式の要素としては、場合によれば、要素によって、入れ替われる(=シャッフルできる)が、配置として、唯一、アリストパネス-プラトン間には、交換不可能性がある。

師弟の勝利は、永遠に語り継がれるが、果たして、ある意味で勝たせたのは誰か。

ひるがえって、私はといえば、来年一年間の経験を持って、このソクラテスを中心とした、古代ギリシャ全体の戯曲を書くこと。

その執筆、あるいは、ある一分野のみに時間を費やすというよりは、その成果をより良いものとするために、活動軸として、仕事、アーティスト活動、学業、この三つの頂点を押し広げていく中で、より、純度の高い、意義のあるものにしていきたいと思っている。

そして、おそらくは、アリストパネスの正体を見たり、と自称するこの私が、この、三者が実は一体であって、目的があった、という説を誰彼構わず不用意に唱えれば、「洞窟の比喩」の通りの反応をされるに違いないし、当惑を超えた、さまさまな思惑が出てくるに違いないが、その覚悟で、のぞむ。

とにかく、師弟の勝利という真相を永遠に伝え行くためには、

「若くて美しいソクラテス」で、あらねばならない。

もはや、暇はない。

けれど、生き急がず、死に急がす、焦らず、しかし、ますますに、間断なき着実な歩みは、次第に、はやく。

しばらくは、光を、最上の光明をば、ライバルに。

***

そして、アリストパネスと、ソクラテスをめぐり、もっとさかのぼれば、

アスパシアと、ペリクレス、という人物たちが、浮かび上がってくる。

アリストパネスソクラテスが、立場上、敵対した一つの契機である。

つまり、図式上の三角関係のソクラテスアリストパネス間の辺には、この対立関係がある(逆に言えば、プラトンにはない)。

それもまた、「響宴」に書いてあるものに該当するし、完全に合致する、と思われるのだ。

プラトンの著作にて、ただ唯一、実在していたとはわからない人物が、その「響宴」において、登場する、ディオティマである。

しかし、それは、アスパシアの人物像を知るものとして、同一人物ではないか、と間違えなく疑われるものである。

そして、アリストパネスは、ペリクレスに、あの民主主義の完成者、ペリクレスに痛烈な批判を繰り広げている(それも、どうも、てきびしくも、見当外れてはない程度に)し、そして、そのアスパシアが、ペロポネソス戦争の原因である!と批判した。

それに、また、「響宴」における、「奥義の伝授」の流れはおそらく、

ペリクレスは、アスパシア(=ディオティマ)から、そして、ディオティマは、ソクラテスを、ソクラテスは、(残念な結果になったが)アルキビアデスを、といった風に、これもまた、二重化されている。

そして、どうも、ペリクレス-アスパシア-ソクラテスの系統の延長上に、ソクラテスは、アルキビアデスを教育しようと、試みたようなのだ(それはアリストパネスへの挑戦ともとれよう)。

これは、のちに、ペリクレス、アスパシア、ソクラテス、とアリストパネス、と、主要人物らをまとめたような題で、メモとして、掲載できたらと思う。

それらは、三角の図式の二辺から、さらに展開される。

そして、おそらく、その図形を広げていくと、多重に、重層的な構造によって守られた、ある人物の像が真ん中に浮かび上がる。

オイディプス王も、その人物と重なるし、三大悲劇作家も、喜劇作家・アリストパネスも、あるいは、ソクラテスも、プラトンも、源流をたどれば、その人物をめぐって起こったことを書いたにすぎないと、言い切って良いと思う。

その人物こそ、滅私の、民主主義の確立者にして、しかし「その名は民主主義と呼ばれたにせよ、実質は秀逸無二の一市民による支配」の独裁者、そして、戦争のどさくさに、民衆から将軍職を追われ、もはや衆愚に陥った民衆から再び将軍を請われるも、疫病に死んだ、古代ギリシアの民主主義の守護神、ペリクレスなる人物である。

ペリクレスのちの、ソクラテスの時代も、のちの時代も、いかに、民主主義が、愚かな(つまり哲学がない)民衆がいることによって、政治がうまく行かなくなるのを回避するか、という点に、注意が注がれたようである。

私の戯曲の試みは、民主主義において、賢い民衆が哲学を持って統治せねばならない以上、<全ての人>が「哲人王」たらしめるようにする試みである。

そういえば、「プラトン」の意味は、広いデコや肩だという説が一般的のようだが、ペリクレスは頭が長かった!

(とりあえず、一旦、了とする)