三大聖人説

REACT-TEXT: 32 2016年12月11日 /REACT-TEXT

世界三大聖人と呼ばれる三者である。

無論、共通する面もあるが、違う面もある。

それぞれの、三者を比較・対照する事項を、検討・整理・検証する。

キリストとブッダソクラテスは、書物を書かなかった(残さなかった)という共通点がある。

弟子たち(またはそれにあたる人たち)が、伝承している。

キリストやブッダは、確実にいたであろうに、史学的には、実在性は証明ができない。

何を持って、証明するのか?

それは、証拠である。二つ以上の証拠が、必要となる。

ソクラテスの場合、実在性は疑われない。

なぜかというと、プラトン、クセノポン、そして、アリストパネスという人物らの著作が、その年代に書かれたという確固たる証拠をもって、事実と判別できるからである。

複数の位相(アスペクト)が様々に浮かび上がるほど、その実態が、「確実にあること」を、または完全に実相を「捉えにくい」であろうことが、同時に姿を顕すだろう。

プラトンのレンズのソクラテスは、凸レンズ化して観ている。

クセノポンのソクラテスは、プラトンのと違い、風変わりだが徳のある人、というもので、道徳くさい、説教くさいおじさんというイメージと、さほど変わらない。

もっともクセノポンという弟子は、一方の優秀な弟子・プラトンに対して、とりあえずの弟子である、というような、過小評価どころか、全く正当な評価を下されていること自体が少ないようで、詳しく検証してみたいと思っている。

アリストパネスの喜劇は、アンフェアさを伴い、大コケした作品であることをありありと思いおこさせる。

この点において、整理しておくと、プラトンとクセノポンは、ソクラテスの弟子、または弟子とみなしておくべき人である(「ソクラテスは弟子取らなかった」とは、プラトンの「ソクラテスの弁明」語られている以上、その説を取らなければ、ソクラテスその人自身が行った言動の整合性が取れない、というのが、プラトンのジレンマであろう)。

つまり、語り継ぐものが弟子「のみ」であれば、実在が疑われたり、または、その師に対しての悪意などから、史実性がないように、いわゆる「闇に葬られる」ということを避けるということは、難しいのであろうと思う。

あえての批判的態度が、証拠として、ある場合、その証言するべき当人の実在性は、より確かに、強固なものとなるはずで、そこは、より高めていくべきなのだ。

それはつまり、ソクラテス以外の、世界三大聖人と呼ばれるキリスト、ブッダにおいても言えることなのである。

三者の中では、ソクラテス、そして彼と共に、そこに、アリストパネスの存在がものをいう。

また別の観点から、三者の比較・対照を試みてみよう。

弟子の離反者、裏切り者という点である。

イエス・キリストには、ユダが居て、ブッダにはダイダバッタがいる。

エスにおいては、教団の目的を成就させる前に、ユダに裏切られ、磔にかかる(ソクラテスが毒薬を飲んだように)。

ブッダにおいては、教団の活動から、ダイダバッタが離反し、ブッダに反逆を試みる(ソクラテスに対するアルキビアデスのように)。

どちらも、教団にいて、それなりの地位にいながら、目先の本来の目的からしては、割にあわない個人的な誘惑ゆえに、裏切るのである。

そして、それらの情報は、正しいのであろうが、証明が(少なくとも史実的には、あたらに証拠が出てくるまでは)できないのである。

立場により歴史は変わる。

「実はブッダこそ間違っており、ダイダバッタが正しかったのだ、そして、その正しいがために、反逆したのだ」と言った趣のダイダバッタ派の教団が、初期の小乗仏教にあったらしい、という記述をどこかで見たことがある。

古代ギリシア語の言語的な特性はともかく(それはヨーロッパ圏で継承されているとは、ラテン語登場以降、さほど思わない)、西洋において、あれだけ普遍的な価値を持つ言語は、今後とも出てこないだろう。

キリストとブッダが話した言葉は、完全には確定できないらしいが、候補がいくつかある。

どちらも、今では、話者がほとんどいないか、少ない。

そして、古代ギリシア語と、今のギリシア語は、また別物であるから、言語的な問題もある。

ブッダやキリストや、またはソクラテス当人が、言語的な記述をしなかったということは、

その言語が、恣意的に解釈されたり、本来の意味合いと違った捉え方をされることを避けたためだ、ということは言えるだろう。

そのため、もし、そのテキスト自体が、今のプラトン(そしてクセノポン)の著作のように、普及しきって、なおかつ全てが焼き払われないということがあれば、三者も考え直したかもしれない。

言語学上、ほぼすべての言語が、三世代で途絶えるという。

ゆえに、ある時点での記述が、読まれないか、たとえ、のちに読まれても、違う意味に変わってしまっている、なんてことがある。

それは、歴史上の認識も同様である。

つまるところ、先祖のことを知ることと同じことなのである。

ルーツを知ること。

これこそが重要で、その自身のルーツを、自分自身がいかに、良いものであればそれに似合うだけの、さらなる発展をば、試みる必要がある。

テキストに、テキスト自体の本懐というべき主張が常に時代を超え宿るであるかどうかは、

テクスト自体と、

テクスト自体を保存する方法とそのテキストの確保(テキスト自体の確定)

かつ、

それを的確に読み解ける読み手と、その読む手段(テキスト自体の解読)

が(信頼性を伴って)必要となる。

それは、歴史学や考古学、地理学、言語学のような(歴史言語学的な)知識を今のところ要する。

この宿命いうべき現状を打破する考え方が、言語学などで出てきている。

まず、普遍言語や生成文法というもので、すべての言語のルーツで、個別の言語は、その現れ方の違いに過ぎない、というものであり、その上で、

翻訳ソフトを開発する本の著者(つまり言語=形式=数理として捉えている人!)が、世界歴史言語学を提唱されている

 


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三位一体説

プラトンソクラテスアリストパネス(メモ書き)

2016/11/12

(覚書ですので、参考程度に:)

ソクラテスプラトンアリストパネスのメモ。

戯曲のための覚書。

(興味がある人のみ、どうぞ、気が向いたので、今、少し載せておきます)

古代ギリシャは哲学で有名である。

なかんずく、ソクラテス

そして、プラトン

 


***

 


プラトンソクラテスは師弟関係である。

ゆえに、真髄は一体である、と言える。

しかし、実は、そもそもアリストパネスソクラテスが、互いの「片われ」なのである。

といったところで、そんなわけがない言われるに違いない。

事実、アリストパネスソクラテスはライバルで、政敵であったと、よく言われるが、

それは、ある時点まではおそらく、そうで、ある時点からは、おそらく違う。

アリストパネスは、もちろん、コメディアンの元祖であり、人々が持ちうる、スウィフト、宮武外骨チャップリンモンティ・パイソンタモリ、そう言った人たちの元祖である。

アリストパネスの「雲」が、上演された時、ソクラテス自身が、その劇を鑑賞し、大笑いしたとか、あるいは気恥ずかしい思いをした、とかいう話が伝わるが、それは、どちらも真実であろう。

その雲の戯曲自体は、第二版であるのだが、それでもアリストパネス自身、恥ずかしさか、何かしらの理由で書き換え、アリストパネスにしては珍しく、大コケした。

いわば、スベったのだ。

この時期のソクラテスは、第一次ソクラテスブーム、と呼ぶべき現象で、その後、しばらくは沈静化し、ソクラテスが時と人と扱われることはなかったようだ。

ではなぜ、「雲」がそこまで、歴史において、暗い影を落とすのだろう?

無論、それには、プラトンの著作がまず挙げられる。

しかし、そもそも、その雲が、仲間内のからかいの延長で、たまたまソクラテスに対して、悪役を担わせただけとは考えられないか?(個人的にはこういう印象である)

そもそも、アリストパネス自身が、ソクラテス当人に、さほどの悪意があったと、言えるだろうか?

「雲」において、ソクラテスは、怪しい教えを広める組織のトップにいる。

しかし、劇中、ソクラテス自身は、間違った教えを、「こう教えろ」と、教えすらいない。

それはある意味で、劇中におけるソクラテス自身が、まずもって答えを提示せずに、吟味の末、自分なりの考えを引き出させるという、のちの「助産」で知られる、ソクラテス像とは、矛盾はしない。

それどころか、「今の他の思想家の誰よりも優れている」というようなことさえソクラテスに対して、言っている。

されど、あくまでも、どこか、この「雲」には、アリストパネスのえにも言われる、「アンフェアさ」が滲み出ている。

この、「雲」こそ、プラトンの「ソクラテスの弁明」にて、間違ったソクラテス像が定着したのだ、と、ソクラテスは裁判で述べる。

これに関しては、間違い無いであろう。

しかしながら、一方で、あの時点で、大コケした「雲」を見て、のちのソクラテスの最期を想像したものは居ろうか。

そして、この「弁明」で、アリストパネスを名指しにするのであるが、これは、裁判という公的にして、これ以上無い誠実さを問われる際に、言い訳がましく、当てつけ、非難する、言ったようなことは、できまい。

ということは、アリストパネス自身に対しての、応酬や、報復では無いと考えられる。

つまり、どちらかというと、「(他の人たちよりは)あいつの言うこともまだわかる」といった程度のニュアンスではないか。

と言うことは、アリストパネスに対しての、悪意というものからきてはいまい(あるとすれば、むしろ、むしかえしであろう)。

いや、それどころか、死刑の宣告をされるかもしれぬという死に間際に(それどころか「禁じ手」を使い出す中に)、なぜ、アリストパネスを名指しするのか。

それには、むしろ、アリストパネスを「信頼した、何か」が、あったとさえ、考えられる。

もし、毒杯を煽って死に、そののちに、ソクラテスという人物がいて、どういうことを、成し遂げたか、という伝承を、歴史を、語り継がせさせるには、誰にそれを、託せば良いか。

そこには、まさにアリストパネスの、存在が、ものを言うはずである。

ソクラテスプラトン、そして、ソクラテスアリストパネス、そして、プラトンアリストパネス。その三者が、実は一体である、と主張する理由は、そこにある。

その一つの根拠は、また別のソクラテスの弟子、クセノポンとの関係性であるが、

プラトンソクラテス像と、多く、矛盾が見られる。

その、最たる、「弁明」などの扱いで、プラトンと同名の著作にて、アリストパネスの名前が問題となっているようなところは、どうも見当たらぬ。

ゆえに、プラトンの著作にて、どうも、意図的に、紛れこまされたものであったとしても不思議ではない、ということらしい。

プラトンの著作は、プラトン自身が、数学や幾何学を必須としたように、規則的な構造をなす。

言わんとすることは、つまり、プラトンの著作は、万華鏡である。

ソクラテスという、その万華鏡の像の、中心に浮かび上がった、一つの実相。

ソクラテスが、確かにイデアを追求しているのあれば、イデア・スペクターという風に言えるし、それは古代ギリシャを包むスペクトルでもある。

プラトンの著作は、「饗宴」を除けば、だいたいが、対話篇であり、一対一の問答を、積み重ね、展開される。

あるいは、こういういいあらわしも可能である。

ソクラテス、という人物に接近するカメラマン。

自らは、これといって出演せず、克明に、ソクラテスを、そして、ソクラテスとの対話するものを、描く。

それは、まさに、ペテン師扱いされ毒杯飲んだ、ソクラテスなる人物の、真実を暴こうとしている。

あたかも、手品師のトリックを、種明しをするように。

しかし、もし、ただ、カメラマンが記録したものや、いわば、一つの万華鏡が、なぜ、永遠に語り継がれる作品となったのだろう?

プラトンを評したものに曰く、「永遠(アイオーン)とは何かを発見したのはプラトンである。彼以前の人々は永遠を無限の時間の意味で語ったが、彼自身は無限の時間と永遠が異なるものであることを示したからである。……著者不明」

そのプラトンをして、永遠性を見出せさせた、その要因とは?

私の説はこうだ:

アリストパネスが、「ソクラテス・プロデューサー」であった。

それは、最初期の、「雲」の時から、そして、または、べつの形で、それを継続した。

つまり、カメラマンは、誰の意向をも踏まえて、ソクラテスに接近したか?

それには、ある者(達?)のあうんの呼吸があったと、見える。

また、万華鏡で言えば、光源/光明(ファネス)にして、プラトンの万華鏡の、「ソクラテス像の」、アドバイザーであったに違いない。

あまり、知られていないことのようであるが、プラトンアリストパネスは、実に良好な関係であった。

どうも、旅に一緒に出ているぐらいの仲であったらしい。

そして、プラトンの枕元には、常にアリストパネスが置いてあり、研究対象であった。

ニーチェが、喜び交えて書き記すところには、プラトンの最期の枕にあったただ一つ書物、ですらあった。

アリストパネスのように夜働く」ということわざがあったほど、アリストパネス自身、勤勉で、デモステネスと並び評される、古代の知識人たちの模範であったらしい。

「賢者は、すべての法が破棄されようとも同じ生き方をせん」とは、紛れもない自身の信条であろう。

だというのに、アリストパネスの、一見バカバカしいまでの、滑稽を連想させるイメージとは、一体どこからくるものなのだろう?

無論それは、本人自らがかもし出しているわけだが。

しかし、ある意味で、確かに、賢いくせに、いわゆる、お笑いに走りがちなものは、おちゃらけつつ、誰よりも本質を掴むものは、このまま真面目くさって話し続けるのも馬鹿らしい、となると、あの手この手で、滑稽に、とあくまでも滑稽さを追求する時、実に独創的に、滔滔と表現をして、しまいには転倒してしまいがちである。それすら別に良いとすら思うほどに。

この文脈で、何が言いたいのかというと、アリストパネス自身の、喜劇作家としてのアリストパネス著作それ以外に、または振る舞いやイメージとは別に、アリストパネスが向き合ったものがありそうだ、ということだ。

それはつまり、プラトンだ。

プラトンがもし、ソクラテスと一体の師弟でありつつ、憧れるものがあるとしたら?

プラトンの「響宴」には、少なくともそれも一つのテーマである、と私は考えている。

もし、「ソクラテスはペテン師だ!」というようなことを劇の内容として主張した者が、ある種の反省ような感情からか、まさにソクラテスその人と、あうんの呼吸で、約束のようなものを取り交わしたのだとしたら?

(「響宴」にて、「一方の意には従い、他方からは逃れることを要求する」、「一方をば追いかけ、他方からは逃れるように励まし」や、「不協和音」から「調和」といった表現が、まさにそうではないかと睨んでいる)。

つまり、その時点で、ソクラテスアリストパネスは、敵対者であるどころか、結託し、協力者となり、いや、それどころ片われとなったのだ、と、私は考えている。

ともあれ、プラトンをして、そのソクラテスと片われである、アリストパネスを、ありとあらゆる表現を駆使して、奇想天外な印象さえ抱かせつつ、その魅力を余すとなく伝えるだろう。

もし、プロデューサーたる人物が本人出演と知らさせずに、カメラの前に出るとすると、まさに、このようになると思う。

万華鏡で言えば、光源を照らし続けていた人物が、いよいよ現れた。

ギリシャ語の「アリスト」とは、「最上の、最大の、最高の」という意味であるし、「パネス、ファネス」とは、「光、光明、光源、陽光」を意味する。

まさに、アリストパネスはその名の通りである。

けれど、レンズを通して、屈折し、最終的には、実相とは「逆さま」の印象を抱かせつつ、馬鹿らしいまでにスーイスーイと、ソクラテスに近づくに違いない。

つまり、アガトンの善良さ(アルキビアデスとの対比を見よ!)を描写することもさることながら、ソクラテスアリストパネスの仲睦まじい様子を、プラトンが表現したものでもある。

ハイライトは、ソクラテスのスピーチを終えた時に、アリストパネスだけが、「何かを言おうとした」<引喩を指摘しようとした>時である(日本語訳だと含みを持たせた表現に、つまり、逆に含みがあることさえわからない訳に、多くの翻訳がなっている)。そこに、まさに、「喧騒」なる「響宴」の語句と同時に、アルキビアデスが乱入する。

そのプラトンの万華鏡の構造を解析できる、直接的な手がかりがあるのは、おそらく「響宴」のみであろう(他には間接的なものはあるだろうが)。

プラトンの作品では、「響宴」のみ、対話篇でなく、伝聞、又聞きの又聞き、といった、二重化がなされているのは、そのためであろう。

プラトンの代表作の「国家」「響宴」「弁明」には全て、アリストパネスが絡んでいる。

先に述べたように、「弁明」には名指しでアリストパネスが、「響宴」では出演し、「国家」には、「気の利いた連中」というのが、アリストパネスではないかと言われてる。

このプラトンの三作には、全て、アリストパネスからの外部から貫通した、いわばツッコミが入っている。

この点において、プラトンに対してのアドバイザーという立場だ、ということや、見守り人であったという私の意見は、すぐには否定されまいと思う。

それどころか、「洞窟の比喩」は、どうだろう?

まさに、万華鏡・カメラマンの説の説明と、完全に合致する。

多々、稿を改め、論じることとする。

プラトンアリストパネスの関係において興味深いのは、ソクラテスの死刑のちの(無論、ソクラテスは自ら不死であるといったが)、民主主義への絶望、そこから、すぐさま抜けて、民主主義とは別の政治形態への模索(共産主義社会主義の原型が、まさにここに見られる)が、すぐさま、ソクラテスをめぐって、アリストパネスと、弟子のプラトンによって、早々に開始されていたという事実である。

となると、第二ラウンド、ソクラテスとなり変わったプラトン、そしてアリストパネスの延長バトルが、すぐさま開始されていたのだ。

この三角の図式の要素としては、場合によれば、要素によって、入れ替われる(=シャッフルできる)が、配置として、唯一、アリストパネス-プラトン間には、交換不可能性がある。

師弟の勝利は、永遠に語り継がれるが、果たして、ある意味で勝たせたのは誰か。

ひるがえって、私はといえば、来年一年間の経験を持って、このソクラテスを中心とした、古代ギリシャ全体の戯曲を書くこと。

その執筆、あるいは、ある一分野のみに時間を費やすというよりは、その成果をより良いものとするために、活動軸として、仕事、アーティスト活動、学業、この三つの頂点を押し広げていく中で、より、純度の高い、意義のあるものにしていきたいと思っている。

そして、おそらくは、アリストパネスの正体を見たり、と自称するこの私が、この、三者が実は一体であって、目的があった、という説を誰彼構わず不用意に唱えれば、「洞窟の比喩」の通りの反応をされるに違いないし、当惑を超えた、さまさまな思惑が出てくるに違いないが、その覚悟で、のぞむ。

とにかく、師弟の勝利という真相を永遠に伝え行くためには、

「若くて美しいソクラテス」で、あらねばならない。

もはや、暇はない。

けれど、生き急がず、死に急がす、焦らず、しかし、ますますに、間断なき着実な歩みは、次第に、はやく。

しばらくは、光を、最上の光明をば、ライバルに。

***

そして、アリストパネスと、ソクラテスをめぐり、もっとさかのぼれば、

アスパシアと、ペリクレス、という人物たちが、浮かび上がってくる。

アリストパネスソクラテスが、立場上、敵対した一つの契機である。

つまり、図式上の三角関係のソクラテスアリストパネス間の辺には、この対立関係がある(逆に言えば、プラトンにはない)。

それもまた、「響宴」に書いてあるものに該当するし、完全に合致する、と思われるのだ。

プラトンの著作にて、ただ唯一、実在していたとはわからない人物が、その「響宴」において、登場する、ディオティマである。

しかし、それは、アスパシアの人物像を知るものとして、同一人物ではないか、と間違えなく疑われるものである。

そして、アリストパネスは、ペリクレスに、あの民主主義の完成者、ペリクレスに痛烈な批判を繰り広げている(それも、どうも、てきびしくも、見当外れてはない程度に)し、そして、そのアスパシアが、ペロポネソス戦争の原因である!と批判した。

それに、また、「響宴」における、「奥義の伝授」の流れはおそらく、

ペリクレスは、アスパシア(=ディオティマ)から、そして、ディオティマは、ソクラテスを、ソクラテスは、(残念な結果になったが)アルキビアデスを、といった風に、これもまた、二重化されている。

そして、どうも、ペリクレス-アスパシア-ソクラテスの系統の延長上に、ソクラテスは、アルキビアデスを教育しようと、試みたようなのだ(それはアリストパネスへの挑戦ともとれよう)。

これは、のちに、ペリクレス、アスパシア、ソクラテス、とアリストパネス、と、主要人物らをまとめたような題で、メモとして、掲載できたらと思う。

それらは、三角の図式の二辺から、さらに展開される。

そして、おそらく、その図形を広げていくと、多重に、重層的な構造によって守られた、ある人物の像が真ん中に浮かび上がる。

オイディプス王も、その人物と重なるし、三大悲劇作家も、喜劇作家・アリストパネスも、あるいは、ソクラテスも、プラトンも、源流をたどれば、その人物をめぐって起こったことを書いたにすぎないと、言い切って良いと思う。

その人物こそ、滅私の、民主主義の確立者にして、しかし「その名は民主主義と呼ばれたにせよ、実質は秀逸無二の一市民による支配」の独裁者、そして、戦争のどさくさに、民衆から将軍職を追われ、もはや衆愚に陥った民衆から再び将軍を請われるも、疫病に死んだ、古代ギリシアの民主主義の守護神、ペリクレスなる人物である。

ペリクレスのちの、ソクラテスの時代も、のちの時代も、いかに、民主主義が、愚かな(つまり哲学がない)民衆がいることによって、政治がうまく行かなくなるのを回避するか、という点に、注意が注がれたようである。

私の戯曲の試みは、民主主義において、賢い民衆が哲学を持って統治せねばならない以上、<全ての人>が「哲人王」たらしめるようにする試みである。

そういえば、「プラトン」の意味は、広いデコや肩だという説が一般的のようだが、ペリクレスは頭が長かった!

(とりあえず、一旦、了とする)

世界政府構想

米中露を第三大大国代表として、世界政府のトライアングルにする案がある。

なお、日本国現行の政党、自民党公明党共産党的三角形トライアングル中心の全政治団体(今日2022/12/25、昨日まで全党連立政権と云って全与党化を予定していたがその進退が揺らいでいるのであるものの日本国においては全政治団体と各党合流先に日本民主党として一党政治運営で良いのではと思い当たったが)も並行して工作中であるが、それはその次元単独では不可能な気がしてきた、というより、可能であっても瑣末なことかもしれないがより高い次元で俯瞰して高い境涯から考えてみよう。

ドルの信用崩壊につき、アメリカと日本国の運命共同体性は確実である

やってアメリカは世界政府の首脳のメンバーシップに残るための最後のアクション、世界政府への着地への、アウト判定タイミングでのミラクルとしてのスライディングセーフが必須となる

その要件としては日本とアメリカ、ならびにその同盟国の文化資源、つまり要はソフトパワーコンテンツ産業の国際的信用の固定相場的本来の意味での基軸的価値創造的通用性とその定着化と更なる(メジャーリーグ歴史的ホールラン宣言有言実行バッター背番号的永久欠番的)定番化は少なくとも確実に必要視される

ロシア、或いは現行でソ連に戻りつつある国の旧・旧ソ連と言うべきか、その国は、日本国国政における、日本社民党日本共産党的連携を中国と取ることになるであろう。当然アメリカが完全一致ではない範囲でか、この党のこの部分と似ているという日本の党がある。

世界各国は日本国政に厳重に注視、監視としては最大限度の注意を払われよ!

***

日本国においては、公明党共産党の連携は共倒れで良いのなら、いつでもやってしまって良いぞという、不協和音を轟かせつつ、調和はじつは、可能かもしれない公明党共産党の支持者の内心敵味方関係さえなければ敬意を本来払うというライバル関係である故に、連携はいざとなったらその党の首脳によっていつでも可能な体制となっていたとしても不思議ではない、むしろ、対立しているアピールが過剰なまでにやり過ぎている印象さえあると、その党の主張と類似政策、その党の代表陣営の裁量によっては何があってもおかしくはないほど、違和感ある連携待望意識は、産経新聞二〇一六年四月のネット上にもまだある記事、共産党挨拶回り公明党編にて、私筆者の誤解があるとは思えない範囲で確認できるはずである

米中の関係も公明党共産党の関係に比類するものである

そこで、日本国政における(新参党は今回においての今はとりあえずさておいての)、古参五党相当の対立と連携、結合と分離によって兆候は確認出来る

例えば公共、公共の福祉をめぐって、公明党共産党

例えば公民、日本国版公民権運動をめぐって、公明党民主党

例えば自供、人という漢字と共という漢字と、がセットになった別の漢字の供述、つまり人間性が問われる品位が伴った共産党自民党の連携などである

世界各国代表・アメリカ仲介による、東アジア地域共同体平和秩序構想

中国と北朝鮮と韓国と日本の、諸国の代表・アメリカ仲介による東アジア地域共同体の連合、またはそれらに類する同盟を締結するプラン。

非人道的軍事的侵攻とその幇助等安全保障上の問題はクリアされることになる手筈を結ばせる。

朝鮮半島南北分断の因となっている、日本とアメリカの由々しき依存関係と共依存を断ち切り、世界に秩序をもたらすことを、分断している日本と日本が外国と対外的に外交する際の妨害作用や非秩序の拡散の抑制の作用のためにも、日本への糾弾を世界各国はプレッシャーを世界から日本に対して圧をかけて行くべきだ

 

なお、日本国としてはこの提案にて、和平的調停が日本国としては珍しくか、国際世界観的史上久々なものとしての人道的満足感をこの閉塞感溢れる日本に、慰み以上、自尊心が損なわれない範囲の責任感として植え付けられること以外慰み以上それ未満しかないだけでももたらすことが出来ること、これをメリットとして挙げたい

 

日本国外ならば共産党、共和党的立場をどう扱うか、という疑問に答えて

共和主義、あるいは共産主義の、または民主主義そのものの発祥地、古代ギリシアの国政の変遷を観察して、民主主義に対抗かあるいは牽制・抑止、抑制している機能を果たす政治信条であるという点から、の答えとしては、

日本民主党政制=公共公党としての一党政治における(つまり、ほかに民主党一党政治以外にあるとすると、民主主義国家ではないということから)運営の公共の場での、共和制、共産制的政策をとる、一民主主義国家の政治団体の一政策立案者であるからには、その立場を公共公党=国家提供裁判所設備説としての、裁判官と検察官と弁護士的業務の中で発揮する一独立者として活動する、というのはどうだろうか